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【吉良家と上杉家】

活動報告

【吉良家と上杉家】

こんばんは。

真っ白な雪景色になってしまった米沢市。
いよいよ、冬本番です!

先週土曜日から公務で、愛知県西尾市に行って参りました。
今回の目的は、旧吉良町と合併した西尾市と米沢市の友好都市締結調印式に出席するためです。

なぜ友好都市締結なのか?

それは、江戸時代の吉良家と上杉家の関係から始まっています。
米澤上杉家は、藩祖2代景勝公以来、現在の17代邦憲公まで続いていますが、ここまで家督を継続できたのは、吉良家のお陰と言っても過言ではないのです。

それが、『三重の縁』といわれるものです。

第一の縁が、吉良上野介義央と3代米沢藩主上杉定勝の末娘三姫(富子)との婚姻。
第二の縁は、お家断絶の危機にあった米沢藩へ義央と富子の長男三之介(のちの、5代上杉綱憲)が養子として、上杉家の家督を相続。米沢藩の取り潰しを救った。
第三の縁は、吉良家の次男三郎が亡くなったことにより、綱憲の次男春千代(のちの、吉良義周)を吉良家の養子とし吉良家を家督相続したのです。

延いては、J・F・ケネディー元大統領の尊敬していた、10代上杉鷹山公の“おばあちゃんのおじいちゃん”が吉良義央公となるのです!

この縁が、民間市民団体の交流をつくり、今回の縁結びになりました。

『忠臣蔵』では、憎き吉良上野介ですが、米沢にとっては義央公の英断がなければ、城下町としての歴史も断絶したかもしれません。

本当に暴君だったのか?
本当に悪者だったのか?

今まで紐解きもせず、TVでしか感じ得なかった“歴史認識”を、もう一度しっかりと精査して多くの人に伝えていきたい!
そんな思いに馳せられた、今回の友好都市締結でした。

これからも両市の繋がりが、日本の歴史に新しい風を吹かせられるようなれば、大きな一歩になるでしょう…。